2022.11.16

【Vol.4】理不尽な世界だった。でも、自分の人生を好きでいられる社会を届けたい

ヤングケアラー経験のある”ちょっと先”の先輩の経験談。

ピアサポーターである彼・彼女たちの経験や想いを聞いてみました。

 


 


小学1年生という幼い時期から、アルコール依存症の母のケアや、
それにまつわる様々な役割を担っていた”ほん”さん。
 
命の危険と隣り合わせだった母のケアが終わった後も、
大人が担うような役割は続きました。
 

同居していたのは、父・母・姉・叔父さんとの5人。
しかし父は、母との激しい喧嘩に身の危険を感じて家を空けることが多く、
13歳上の姉は仕事や用事で帰りが遅いので、
夜間・休日は母とほんさんのふたりきりになることが多かったそうです。

 

ーどんなケアをしていた?

母の精神的ケアや、物が飛び交うほど激しい両親の喧嘩の仲裁。
そして母の死後は、家に訪問してくる消費者金融やローンの連帯保証人の対応、
支払えない学校の集金関係の説明など、大人とのやり取りも父に代わって行っていました。


母の依存の症状が出始めたのは、僕が幼稚園の時です。
小学生になってからは、自分が母のケアをしなければならない状態でした。

ケアといっても、”命のケア”が中心です。
 
1日10本以上缶酎ハイを飲むので、母が寝ている間に脈拍や呼吸の有無を確認をしたり、
自殺未遂に遭遇した時は止めて、「何が不満で、何があったのか」、母の気持ちを聞いていました。
 
年に2回は自殺未遂をしてしまうので、その度に警察や親戚を呼びました。

当時の対応は誰にやり方を教えてもらうわけでもなく、小学生なりに考えてやっていたものです。
夜中に母の脈拍や呼吸を確認するようになったのも、授業でたまたま脈の測り方を学び、
脈拍が高い=体調が悪い証拠だ、と知ったからです。


ー当時の思いは?

とにかく「両親ふたりの命を守らなきゃ」という意識が強かったです。
他のことを考える余裕はなかった。
 

母の他界後は、悲しいという感情よりも、異質な環境から解放されたという感じでした。
もう”命”のことで悩まなくてもいい。

父っ子だったので、父の命が危険にさらされなくなったという安堵感もありましたね。
 

思ってはいけないことかもしれないけど、
当時はお母さんが死んでしまえばいいのに、と思うことさえありました。

 

ーいまはどう捉えている?

すべてが結構おかしかった。

けどどうしようもない、理不尽な世界だったと思います。

何で母のケアをしなければいけないんだろうと思いながらも、
人が死ぬ危機に直面していたので、だれかがパイプ役をやらないといけない。
 

周囲の大人も、「なにかおかしい」と気づいてはいたと思います。
でも大人に言ったらまずいと当時は思っていたので、
特にだれかに相談はしませんでした。
 

今思えば、「言ったらどうにかなる」と思えていたら、声をあげることができたかもしれないですね。
 

”誰かが父と母のパイプ役になって、双方納得のいく選択肢に繋げてくれる”
そんな存在をどこかで期待していたと思います。


 

ーヤングケアラーへのメッセージ

辛いと思ったら、誰かに話してみること
 
そして無理のない範囲で、信頼できる大人や年齢の近い人を見つけて、
自分のことを小出しにしながら、今置かれている状況への解決方法を見つけてほしいです。
 
人生を振り返って思うのは、この経験があるからこそ誰かの気持ちがわかるということ。
今は自分の暗い過去を客観的に見て、その連鎖を止めたいと思っています。
 
大人になったときに、自分の人生を好きでいられる社会”。
そんな環境を、中高生のみなさんに届けられたら嬉しいです。

 

 \オンラインイベント申込受付中/

ヤングケアラー経験のある先輩たちのお話を聞いたり、

今同じような経験をしている中高生同士での交流ができます。

あなたもちょこっと、話を聞いてみませんか?

▶お申し込みはこちら

 
\Twitter相談窓口のご案内/

TwitterのDM(ダイレクトメッセージ)での個別相談窓口です。

”ちょっと話を聞いてほしい”、そんなご相談もOKです♪お気軽にご相談ください。

▶Twitter相談窓口はこちら

(アカウントをフォローし、DMをお送りください)