2022.10.19
【Vol.3】支えてくれる人やモノは、身近にある
ヤングケアラー経験のある”ちょっと先”の先輩の経験談。
ピアサポーターである彼・彼女たちの経験や想いを聞いてみました。
大学生のまりさんは、小学校3年生の時に両親が離婚。
母子家庭の3人兄弟の長女として育ちました。
兄弟には、3つ下・9つ下の弟がいます。
「働かざる者食うべからず」という家のモットーの下、
介護職で忙しい母に代わり、末っ子の弟の面倒をみたり、夕飯づくりなどの家事を担ったりしていました。
周囲には協力してくれる人がいて、3つ下の弟と家事を分担したり、
友人の家族の協力を得られていたそうです。
ーどんなケアをしていた?
母のシフトに合わせて、家事や弟の世話を行っていました。
例えば母が早番のときは、弟の保育園の送迎をします。
朝は支度をして7:30に保育園の荷物を持ち出発。
その後一時帰宅して、8:00過ぎに家を出て登校です。
遅刻はしなかったものの、いつもギリギリで走って登校していました。
幸いなことに、同級生の友人の妹が同じ保育園に通っていたので、
送迎は友人宅の車に乗せてもらえました。
母が遅番の日は帰りも保育園へ迎えに行き、帰宅後は市販の食材も使いながら夕飯を作ります。
高校生になると母が泊まり番を始めたので、夜は兄弟3人で過ごすこともありましたね。
母のモットーは「働かざる者食うべからず」。
3つ下の弟と家事を分担しながら生活していました。
ー当時の思いは?
「よそはよそ、うちはうち」と思っていたので、他の家と比較してどう、ということはなかったです。
家はお金があるわけではなかったけど、部活の水泳も最低限の物は揃えてもらい、続けられていました。
ただ高校生になってからは、「家に囚われている」という感覚はありましたね。
親の泊まり番が増えて、部活終わりに友達みんなと遊びにいくことができなかったり、
大学選びでは「家のことをやらなきゃいけない。家から出ちゃいけない」と思っていたので、
実家から通える県内の大学しか選択肢はありませんでした。
大学進学後のある日、母と喧嘩して「本当は家にいたくないのに!」という気持ちが出てしまって…
それ以来は、県内で一人暮らしを始めています。
今でも母が泊まり番の日は実家に帰って手伝っていますが、
母は私に対して自由にやらせたい、という想いは持ってくれていたようです。
ーいまはどう捉えている?
自分はもともと”なんでもやりたい”という性格だったのもありますが、
早い段階から家事・育児に関することをやれていたので、
色々な自立できるスキルは身についたと思います。
例えば今通っている栄養学科の授業では、こんなことがありました。
『乳幼児(5歳)の献立を考える』というお題が出たときに、
周りの友人は5歳児がどういうものかを理解できていません。
でも自分は、「数年前のあの頃の弟か」と思い出して、
箸は使えるかとか、スプーンを使うのかとかをイメージできます。
そういったところから基礎知識があるのは、今思うとプラスになっていると思いますね。
ーヤングケアラーへのメッセージ
自分のやりたいことが明確だと、支えてくれる人や制度は、案外身近にあります。
大学生になった今は家賃・学費ともに自分で持っていますが、
国(日本学生支援機構)からの給付型の奨学金制度もあるし、
条件次第では大学から学費の半分近くを免除してもらえる制度もあります。
大変ではあるけどなんとかなるものです。
友人で「大学に行きたいけど、家計的にいけない」と言っている人がいました。
でも、家の事情やお金を気にして進路を断ってしまうのはもったいない。
ぜひ身近な大人や友達、制度など、いろんな人やものに頼りながら
自分の力でやりたいことを切り開いていってほしいな、と思います。
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